「そのように理解しています。バードの話だと、相当に網羅《もうら》的なものだとか」
「それはいささか大袈裟かもしれんな」伯爵は謙遜して、笑みを浮かべた。「それでもペロシア北部と、一部はデイラのほうまで、ほとんどの民話を収集できたと思っている。オサの侵攻は一般に知られているよりもはるかに広範なものだったのだ」
「ええ、それはわれわれも気がつきました。伯爵の年代記を閲覧するお許しをいただければ、サラク王が埋葬されている場所を探す手がかりが得られるのではないかと思っているのです」
「もちろん構わんとも、サー?スパーホーク。わたしも手を貸そう。ただ今日はもう遅いし、あの年代記は分厚いのでな」うに言って、「今から始めたら徹夜になってしまうだろう。手をつけると時の経つのを忘れてしまうものだから。明日の朝から始めることにしてはどうかな」
「伯爵のよろしいように」
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 そこへオキュダが入ってきた。濃いシチューを入れた壺と、人数分の皿を手にしている。
「お食事は差し上げておきました」召使は静かに報告した。
「容態に変化は」
「残念ながら、ご主人様」
 伯爵はため息をついた。その顔がふたたび暗くなる。
 オキュダの料理の腕はあまり誉められたものではなく、シチューはかろうじて我慢できるという程度の味だった。伯爵はいつも研究に夢中で、食事の味つけなどには頓着しないのだろう。
 食事が終わると伯爵は一同におやすみの挨拶をした。オキュダが先に立って階段を上り、廊下を歩いて、用意された部屋まで一行を案内する。寝室に近づくにつれ、狂女の絶叫がふたたび聞こえはじめた。ベヴィエは唇を噛《か》んだ。
「訴えている」怒りを押し殺した声でつぶやく。
「いいえ、騎士様」オキュダはかぶりを振った。「あの方はすっかり正気を失ってしまわれました。あの状態の患者は、自分が置かれている状況さえ理解できなくなっているものです」
「召使ふぜいに、どうして心の病について詳しいことがわかるのだ」
「もうよせ、ベヴィエ」スパーホークがふたたび割って入った。
「いえ、構いません。騎士様のお疑いはもっともです」オキュダはベヴィエに向き直った。「若いころ、わたしは修道僧でした。修道会の僧院の一つが狂人のためのホスピスになっていて、わたしはそこに属していました。狂人の扱いにはじゅうぶんな経験があるのです。レディ?ベリナは完全に狂っていて、もはやお救いする術《すべ》はありません。どうか信じてください」
 ベヴィエの自信はややぐらついたかに見えたが、その表情はすぐにまた硬くなった。「そんな話は信じられない」
「信じる信じないはご自由です、騎士様。こちらの部屋をお使いください」オキュダは部屋の扉を開けた。「ゆっくりおやすみを」
 ベヴィエは部屋に入って、背後で扉を閉めた。
「屋敷の中が静かになったら、すぐにも伯爵の妹を探しに部屋を抜け出しそうですね」セフレーニアがつぶやく。
「まったくです」スパーホークも同意した。「オキュダ、このドアが開かないようにできないかな」
 巨漢のペロシア人はうなずいた。
「鎖をかければできると思います」